3度の飯よりオタク業

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アイドルの卒業に「おめでとう」と言えるのか

先日、カントリー・ガールズPMの嗣永桃子さんがハロー!プロジェクトの卒業、そして芸能界引退を発表されました。

正直、まだ色々と整理がついていません。よく分かりません。


私がハロプロを好きになり始めたのは2014年からなので、1番最初に卒業を見届けた人は道重さゆみでした。好きになり始めて右も左も分からない状況だったので、素直に「ああ寂しいな」って思ったし、卒業後しばらくは気持ちを引きずらずにはいられなかったけど、モーニング娘。'15がいたおかげで心にぽっかり穴が開くような喪失感はありませんでした。さゆが当時何を考えていたのか私には分かりませんが、「後輩達が頼もしくなったから」「可愛さがピークのうちに卒業したい」と言っていたことはよく覚えています。


決定的に卒業というものを意識し始めたのは、他でもない鞘師里保の卒業の時です。さゆが卒業して、9期が1番上になって、これからのモーニング娘。を築き上げていくんだって信じて疑いませんでした。リーダーのフクちゃんと、センターの鞘師と、優しく包み込んでくれる香音ちゃんと、背中で語っていくえりぽんと、4人で。


でも、それは違ってた。

鞘師里保は卒業を発表、海外に留学することが決まりました。

ただただひたすらに悲しくて、卒業して欲しくなくて、そんな気持ちでいっぱいでした。虚しいことに、鞘師が卒業してから自分の中での鞘師の大きさに気づいて、本当に辛かったです。1番後悔してるのは、「鞘師卒業おめでとう」って言えなかったことです。口には出していたかも知れませんが、「おめでとう」なんて全然思えませんでした。鞘師の卒業の時にブログも書いたけど、「おめでとう」とは一言も書いていません。だって、何もおめでたくない。鞘師が卒業しちゃう。嫌だ。悲しい。寂しい。嫌だ。嫌だ嫌だ… そんなことばかり考えていました。


この頃から、卒業「おめでとう」は何に対する「おめでとう」なのかということをすごく考えるようになりました。

「ありがとう」と言われたら「どういたしまして」と返すように、「卒業」には「おめでとう」という言葉が当てはまるのは分かります。でも、アイドルの卒業って何がおめでたいんだろうか?自分が好きなハロプロからアイドルがいなくなっていく、テレビや雑誌で見られる機会が減るかもしれない、もしかしたらその姿をこれから先ずっと見られないかもしれない。それでも「おめでとう」なのか?


答えが見つからなくて、悩んで、悩んで、香音ちゃんの卒業や℃-uteの解散発表を経て、少しだけ分かったことがあります。


アイドルというのは、終わりなき道を進んでいくようなもので、時には急勾配の道だったり、場合によっては自分で道を切り開いたり、私たちの想像以上に並大抵ではないと思います。だから、自分で道の終わりを見つけられたことに対する「おめでとう」なのかもしれない。終わりのない道はどこまでも突き進んでいくことができるけど、反対に言えば自分で終わりを見つけなければいけません。ハロプロの場合は小中高生いずれかからアイドルをやっているので、長く身を置いた自分の帰る場所とも呼ぶべき場所から巣立っていくのはそれ相応の覚悟が必要です。彼女たちは、アイドルとしての終わりを見つけて、次の道へ進む覚悟を決めたんだと思います。鞘師は、海外留学。香音ちゃんは、福祉。℃-uteのみんなは、タレント活動やアパレル関係など個々にやりたいことを見つけた。そしてももは、幼児教育の道へ。

勝手にみんなずっとアイドルでいてくれるような気がしてたけど、そうじゃない。永遠なんてない。でも、刹那的だからこそアイドルは輝いていられるのかもしれない。


私の推しである石田亜佑美ちゃんも、いつか必ず卒業の日を迎える時が来ます。絶対泣くし、嫌だって散々喚くし、もしかしたら亜佑美ちゃんのいないモーニング娘。を見られなくなってしまうかもしれないけど、ゆっくりゆっくり濾過するみたいに少しずつ受け入れていって、「ありがとう、大好きだよ、卒業おめでとう」ってちゃんと言いたいと思います。まだ受け入れている途中だけど、きっとももに対しても「卒業おめでとう」って心から言える日が来ると思います。鞘師にもちゃんとおめでとうって言いたかったな。ごめんね。


ずっと、卒業に対する気持ちのやり場が分かりませんでした。ハロプロを好きになって2年、ようやく分かり始めた気がします。これから先も卒業に慣れることなんてないけど、後悔だけはしないようにヲタ活しようと思います。