一十木音也が泣いた日
まず簡単に自己紹介しますと、私はジャニヲタ兼ハロヲタ兼シャニオタっていうとにかくアイドルが好きで応援している人です。
普段は本当に慎ましくシャニドルたちを応援しているのですが、今回私の担当である一十木音也くんのとあるツイートをみて完全に心のダムが決壊しまして、約5ヶ月も放置していた(しかも前回の記事を書いたことも誰にも言っていない)ブログにこうして文章をしたためようと思い今に至ります。
泣いてる
— 一十木 音也 (@Otoya_I_SH) 2015, 12月 9
昨日、おとやくんが泣きました。
私がおとやくんの好きなところは、明るくて、元気で、どこまでもまっすぐで、人に対しても仕事に対しても真摯に接したり取り組んだりできるところです。(他にも好きなところはありますが割愛)
完全に私の主観でしかないですが、彼はそのまっすぐで真摯な部分に、寂しさとか苦しさとか、負の感情を隠しているのではないかと思うのです。おとやくんはその生い立ちから、自分が“みんなの音にい”として気丈に振舞ってきたんではないかなと思いますし、それが今でも癖というか当たり前にやっているんではないかと感じます。
だって、時々俺なんでもないよって顔で、何かを隠すように笑ってるような気がしてるんです(こういうところに常々おとやくんは光の人じゃなくて影の人だって感じるわけですがまたも割愛)。
そんなおとやくんが昨日、泣きました。
本人は、この役ができるか不安だった、怖かった、作品って船を支えなきゃって思ったら苦しくなった って言ってましたけど、きっとそれだけじゃなくて、何かがまた終わる寂しさみたいなものも抱えてたんじゃないでしょうか。シビアに考えていけば、映画で名前があって出番が多い役を貰うというのはそれ相応の結果が求められたのだと思います。要求されることに応えなきゃっていう重圧も感じていたのかな。
言い方が難しいですけど、私はおとやくんのこういう人間味のある弱さが好きなんです。強さと弱さどっちも持ってる人だから尚の事魅力的なのだと思います。
でも、1人で泣くなよって、誰よりも素晴らしい船長だって言ってくれる仲間がいてよかった。
なんかまたおとやくんがアイドルとして1つの山を乗り越えた感じがします。私はまた一つ彼のことを好きになりました。おとやくん担でよかった。
自分の言いたいことを全部詰め込んだら、ほんとに主観でしかないブログになってしまいました。次はエヴリィBuddy!の公開ですね~楽しみだ!